GR DIGITAL Ⅳ ポジフィルム調
南海和歌山市駅
紀ノ川橋梁(現在の上り線)が架橋された明治36年(1903)3月に開業し、平成15年(2003年)で百周年を迎えました。初代駅舎は昭和20年(1945)7月の空襲で焼失し、昭和30年(1955)3月に2代目駅舎での営業を開始しました。3代目駅舎となる現在の「南海和歌山ビル」は昭和48年(1973)5月に竣工。当社で初めて自動改札機が設置された駅施設(2階部分)は同ビル竣工の前年12月に使用を開始しました。地上7階・地下1階建ての同ビルは、百貨店や銀行、飲食店街などを備え、和歌山市の玄関口として地域の発展に貢献しています。
引用元 和歌山市駅|南海電鉄
こちらの写真は2015年撮影。
現在は建て替え工事が進んで、一部足場が組まれているためスッキリした写真は撮れなくなりました。
現在は新しい駅ビルが完成しており、商業施設『キーノ和歌山』が併設されています。
こちらはまた記事にしたいと思います。
現在の和歌山市駅 なんかこう、都会っぽくはなったよね。
個人的に思い入れのある駅で、小さい頃に祖母の家に行く時に利用していました。
それゆえに建て替えは非常に残念であります。
ちなみに駐車場なんですが、コインパーキングがあちらこちらに相当な数があるので安心です。
料金も安いですよ。
こちらは解体の準備中に撮った写真です。
いやいや、やはり重厚感があってカッコいいですね。
こんなことなら、もっと細かい所まで写真に撮っておけばよかったと後悔しています。
何とか古いSDカードに入っていたものを見つけ出しました。
それでは少し離れて街並みに市駅を入れてみましょう。
和歌山市駅正面には数は少ないですがお店があります。
青果店、薬局・・まぁそんな感じです。
ただ現在は青果店がなくなり、駐車場となっています。
ちなみに画角が違いますが、同じような場所から撮った一枚。
この時は既に和歌山市駅は綺麗に解体されております。
和歌山市駅がない時〜です。
しかしあるとないとじゃ、えらい違いですよね。
なんかもうゴーストタウンですよ。
過去の和歌山市駅
解体工事中に囲いの壁にこんなものが貼られていました。
和歌山市駅は大阪・難波を起点とする南海鉄道(現・南海電鉄)の南のターミナル駅
として、明治36年(1903)3月21日に開業しました。
旧城下町エリアの北西に位置する当駅は、和歌山市の玄関口として、当初から
『和歌山市駅』を名乗り。地元では『市駅』の愛称で呼ばれるようになりました。
和歌山市・紀ノ川間に架かる長大な鉄橋『紀ノ川橋梁』は上り線は開業時から、
下り線は大正11年(1922年)から利用されてきました。当時の最新の技術で
建造され、和歌山市の近代化を支えた鉄橋の風格は今も健在です。
紀ノ川橋梁については下記リンクを
市駅には開業時から紀和鉄道(現・JR和歌山線)が乗り入れ、明治42年(1909年)に
和歌浦への路面電車、大正3年(1914年)に加太軽便鉄道(現・JR紀勢本線)が開業し
名実ともに和歌山のターミナルとして発展しました。
昭和20年(1945年)7月の和歌山空襲により初代駅舎は焼失し、終戦後は仮設駅舎
で営業が行われました。市街地の戦災復興事業が進むなかで、昭和30年(1955年)に
鉄筋コンクリート造の二代目駅舎が完成し、装いを一新しました。
なるほど〜。
当然ながら上記の写真の和歌山市駅は、僕には全く馴染みはないのですが、解る人には懐かしい和歌山の風景ではないでしょうか。
僕のブログも、何十年か先に同じような役割を果たせれば良いなと思います。
バス乗り場
こちらは和歌山市駅内のバス乗り場です。
昭和感漂う、とても良い雰囲気なんですけどね。
反転フラップ式案内表示機(パタパタ式、ソラリー式)
5D mark Ⅲ + EF50mm F1.4 USM 和歌山市駅改札口
僕はこの案内板が好きなんですよ。
パタパタ式、開発者の名前からソラリー式とも呼ばれているようです。
建て替えてもこの案内板は使って欲しいな。
GR DIGITAL Ⅳ ポジフィルム調
こちらも古い写真ではありますが、せっかくなので紹介しておきます。
こちらも以前の和歌山市駅から外を撮影した一枚。
誰が置いたか、無数の植木たち。
自由な感じが今とは違いますね。