Record of Wakayama

和歌山県内の町並み、レトロな商店街、歴史的建築、観光スポットを写真に記録しています。地域の今と昔を歩いて感じる“和歌山まち歩き”ブログです。

【南紀熊野ジオパーク】上富田の潜水橋と彦五郎堤防の伝承

欄干のない橋『上富田の潜水橋』

上富田の潜水橋(畑山橋)

潜水橋とは?

潜水橋とは、川が増水した際に水面下に沈んでしまう橋です。

特徴としては欄干がなく、普通の橋に比べると低い位置に架けられています。

欄干がない事で増水し、橋が沈んでしまっても流木やゴミが引っかかる事なく橋の負担を軽減します。

地方により呼び方は様々あり、潜り橋、冠水橋、沈み橋などがあり、高知の四万十川では『沈下橋』と呼ばれています。

上富田の潜水橋 畑山橋の場所と駐車場

駐車場は富田川の北側の河川敷に車を停める場所があります。

車でお越しの方は紀勢自動車道、上富田ICから約10分。

公共交通機関をご利用の方は、JR紀伊田辺駅から熊野線で上岩田で下車。

南紀熊野ジオパークの一つ『上富田の潜水橋(畑山橋)』

富田川(とんだがわ)にかかる橋で欄干がなく、道幅が狭いのが特徴。

かつて洪水を繰り返す富田川では、欄干をなくすことで増水時に橋にかかる負担を軽減した。

上富田にはもう一つ潜水橋があるが、そちらはまだ行ったことがないため

後に追記したい。

富田川の水害

富田川では、過去に大きな水害が発生しており、流域に住む人達に大きな被害をもたらしました。

1889年(明治22年)の大水害では富田川筋の565名が犠牲になったようです。

思っていたより怖い潜水橋

欄干がないだけで、こうも恐怖を感じるとは思いませんでした。

橋の幅が約1.5mと意外に広いように思いますが、両端が赤いペンキで塗られているので

余計に狭く感じます。

向こう側から誰か歩いてきたならば、すれ違うのも大変です。

潜水橋について調べていた時に、低い橋なんて書いていたけど、畑山橋は結構高いよ。

どうやらこの畑山橋は散策コースのルートになっているようです。

二級河川 富田川

富田川上流方面。

富田川は二級河川、延長は約41kmとそれほど長くはない。

和歌山市を流れる紀ノ川で約136km、和歌山県内で一番長いのが熊野川の183kmである。

ちなみに和歌山には日本一短い『ぶつぶつ川』13.5mがある。

こちらはまだ記事にできていないので、いつか必ず書きますね。

ぶつぶつ川も、南紀熊野ジオパークに指定されており、こちらもオススメ。

wakayama-guidance.com

 

富田川下流方面。

畑山橋から下流にくだると、もう一つの潜水橋『山王橋』がある。

畑山橋と似たような造りのようです。

以前、冬の寒い時期に訪れたのですが、やはり緑が生い茂る時期に来たい場所ですね。

本当は青空で夏って感じの写真を撮りたかったのですが、現場に着く直前に曇りだすという残念な結果に‥。

これはまた撮影に来たいですね。

次に紹介するのは上富田の潜水橋近くにある、彦五郎堤防です。

 

彦五郎堤防

和歌山県上富田町を流れる富田川。この清流には、洪水と闘い続けた地域の人々の知恵と悲しい伝説が今も息づいています。富田川の潜水橋の近くにある、南紀熊野ジオパークの貴重な治水遺産である「彦五郎堤防」をご紹介します。

彦五郎堤防とは?

富田川の右岸に約1kmにわたって続く彦五郎堤防。この名前の由来には、胸を打つ悲しい伝説があります。
昔から富田川は度重なる洪水に見舞われ、その度に田畑が流され、人々の暮らしが脅かされていました。ある年、またも大きな洪水が発生し、人も馬も流される惨事となりました。困り果てた村人たちが氏神様にお願いしたところ、夢枕に神様が現れてこう告げたのです。
「堤防に人柱を立てよ。そうすれば堤防は安全になる」
誰も進んで人柱になろうとしない中、彦五郎という男が提案しました。「この中で着物を横継ぎにしている者がいたら、その者を人柱にしよう」と。ところが、着物を調べてみると、その言い出した彦五郎自身の着物が横継ぎになっていたのです。
彦五郎は潔く自らの運命を受け入れ、人柱となりました。不思議なことに、その後この堤防は決壊することがなくなったと伝えられています。

 

このような悲しい伝承があるのですが、明治22年の大洪水には耐えきれず、決壊してしまったとジオパークの案内板に記されていました。

彦五郎堤防の場所

彦五郎公園は駐車場やトイレ完備しており、少しではありますが遊具もあるので小さいお子様も少しは楽しめるのではないでしょうか。

 

この彦五郎堤防が築かれたのは諸説あり、宝暦年間から180年前という伝承から、1571年から1584年頃という説や、慶安4年(1651年)や承応2年(1653年)に修築されたという説があり正確な年代はわからないようです。
現在、堤防上には4基の石塔が建てられており、その中には人柱彦五郎顕彰碑と明治洪水招魂碑があります。なお、人柱になったのは彦五郎一人ではなく、彦蔵と五郎という二人だったという説もあり、昭和39年に建てられた「彦五郎堤の由来」の碑文にはその説が採用されています。

現在の彦五郎公園

現在、この場所は彦五郎公園として整備され、春には約200mの歩道沿いに約80本のソメイヨシノなどが咲き誇り、地域の人々のお花見スポットとして親しまれています。悲しい伝説の地が、今では人々の憩いの場となっているのです。

まとめ

富田川の彦五郎堤防と潜水橋は、単なる治水施設以上の価値を持っています。そこには、自然災害と向き合い続けた人々の知恵と犠牲、そして現代まで受け継がれる地域の文化が刻まれています。
これらの史跡を訪れる際は、ただ珍しい景観を楽しむだけでなく、そこに込められた先人たちの思いにも想いを馳せてみてください。きっと、和歌山の歴史と文化の深さを実感できることでしょう。